ウズラノ少尉

鶉野飛行場資料館

UZURANO Airfield Museum
アクセス鶉野飛行場
JR加古川線粟生駅より北条鉄道へ乗換「法華口駅」より徒歩約30分
中国道加西インターから南へ 中西交差点左折 その先東へ約1.5km

鶉野(うずらの)飛行場とは鶉野(うずらの)飛行場とは
鶉野飛行場は、先の大戦中(太平洋戦争)旧日本海軍が当時の兵庫県加西郡九会村と下里村にまたがる広大な鶉野台地に建設した、姫路海軍航空隊の滑走路跡です。
ここには、先の大戦中に造られた全長1200mのコンクリート製滑走路を中心に、防空壕や弾薬庫などの地下施設、ならびに米軍の空襲に備え造られた対空機銃座や戦闘機を隠す掩体壕(えんたいごう)など、多くの施設跡が現存しています。ここ加西・鶉野の地には、戦後70年を経た現在もその当時の姿を今に残す、いわゆる戦争遺跡群が形成されています。
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姫路海軍航空隊姫路海軍航空隊
昭和18年10月1日、海軍パイロット養成の場として加西・鶉野の地に姫路海軍航空隊が設立されました。鶉野飛行場はこの姫路海軍航空隊の中核施設である滑走路であり、現存するコンクリート製滑走路の他、当時は複数の滑走路も存在していました。姫路海軍航空隊の中枢部は滑走路の南、現在の神戸大学の研究機関の敷地内にあり、当時は木造2階建ての隊舎がいくつも軒を連ねていました。
ここにでは、海軍パイロットを目指す若者たちが全国から集まり、真珠湾攻撃でも活躍した九七式艦上攻撃機による実戦に向けた最終段階の訓練が行われていました。
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神風特攻隊『白鷺隊』神風特攻隊『白鷺隊』
昭和20年3月26日、姫路海軍航空隊で編成された神風(しんぷう)特別攻撃隊『護皇白鷺隊』が九州宇佐へ向け、鶉野の地から飛び立っていきました。
そして、昭和20年4月6日から5月11日にかけて行われた6回の出撃で、鹿児島県最南端、串良飛行場を飛び立った飛行分隊長佐藤清大尉はじめ、教官ならびに練習生など多くの若者を中心とした21機63名の隊員たち、遠く沖縄の空で散っていきました。
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海軍最後の戦闘機『紫電改』がここで造られた。『紫電改』の故郷海軍最後の戦闘機『紫電改』がここで造られた。『紫電改』の故郷
かつて、鶉野飛行場の滑走路脇には川西航空機姫路製作所鶉野組立工場がありました。
川西航空機が開発した海軍最後にして最強の戦闘機『紫電改』、川西航空機姫路製作所(播但線京口駅前)で製造された『紫電』、『紫電改』の最終組立及び試験飛行がここ鶉野の地で行われていました。
大戦末期の昭和20年3月10日鶉野で造られた最初の『紫電改』が完成、その後度重なる米軍艦載機の空襲を受けながらも、鶉野組立工場では終戦の日まで『紫電改』の製造が続けられました。
加西・鶉野は、海軍最後の戦闘機『紫電改』の故郷でもあります。
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『紫電改』里帰りプロジェクト『紫電改』里帰りプロジェクト
川西航空機の開発した『紫電改』は、日本海軍にとって最後の量産機であり、どの米軍機よりも優れた、当時としては世界最強の戦闘機でした。この機体には川西航空機が独自に開発した自動空戦フラップなど多くの技術が盛り込まれています。こういった意味で『紫電改』は技術遺産としても世界的に高い価値を持つ機体ということができます。
このような名機が兵庫県で開発され、加西・鶉野の地で造られていた。これは郷土にとっても宝であり、誇るべきことではないでしょうか。
この加西・鶉野の地に『紫電改』の勇姿を再び、現在、加西での紫電改復活に向け、米国保管の紫電改の返還、もしくは実寸大モデルの製作等、プロジェクトを計画中です。 このプロジェクト立ち上げ当たっては、多くの人々のご理解とご協力を賜りたいところです。
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